館長挨拶
令和4年3月16日

皆様,初めまして。私は2月18日に着任しました。モザンビークには,1994年に最初の大統領選挙・総選挙が行われた際に,国連派遣の選挙監視委員として来たことがあります。あれから26年が経ち,周りの景色も様変わりです。あの頃は,高いビルと言えばポラナホテルくらいでしたが,今では高層ビルが林立しています。これは,90年代以降,平均年率7%の経済成長を達成して,モザンビーク自身が大きく発展してきた結果です。この高い経済成長率は今後さらに高くなると考えられています。世界有数の天然ガス田が発見され,2023年以降,実際に天然ガスが生産され始めるからです。天然ガスだけではありません。石炭,貴金属,安い電力,豊富な海産物,潜在力の大きい農業など,モザンビークは可能性の宝庫です。この可能性を追求して、民間企業も世界中から進出してきています。
モザンビークは今後急速に発展していくことでしょう。そのモザンビークと日本は強いつながりを持っています。遠い昔、ポルトガルの宣教師とともに日本に行き、信長の家来となった「弥助」というモザンビーク人がいました。日本とモザンビークのつながりは、一般に想像されるよりずっと古いのです。そして、現在でもそのつながりは強く、日本はモザンビークへの主要ドナー国のひとつであり、かつ民間分野でも主要直接投資国のひとつです。地方レベルでも、愛媛県とモザンビークの協力関係は深く、今年の東京オリンピックでも、モザンビークのホストタウンとなっています。
昨年のTICAD 7では、「アフリカに躍進を!ひと、技術、イノベーションで。」のテーマの下、「イノベーションと民間セクターの関与を通じた経済構造転換の促進及びビジネス環境の改善」が三本柱の一つとして採択されました。日本企業の基本理念である「三方良し」の理念の下、民間の方々と一緒になって、我が国の国益とモザンビークの発展に尽力したいと思っています。
モザンビークは今後急速に発展していくことでしょう。そのモザンビークと日本は強いつながりを持っています。遠い昔、ポルトガルの宣教師とともに日本に行き、信長の家来となった「弥助」というモザンビーク人がいました。日本とモザンビークのつながりは、一般に想像されるよりずっと古いのです。そして、現在でもそのつながりは強く、日本はモザンビークへの主要ドナー国のひとつであり、かつ民間分野でも主要直接投資国のひとつです。地方レベルでも、愛媛県とモザンビークの協力関係は深く、今年の東京オリンピックでも、モザンビークのホストタウンとなっています。
昨年のTICAD 7では、「アフリカに躍進を!ひと、技術、イノベーションで。」のテーマの下、「イノベーションと民間セクターの関与を通じた経済構造転換の促進及びビジネス環境の改善」が三本柱の一つとして採択されました。日本企業の基本理念である「三方良し」の理念の下、民間の方々と一緒になって、我が国の国益とモザンビークの発展に尽力したいと思っています。
駐モザンビーク日本国大使
木村 元